コロナ禍での、アメリカから日本(中野)への一時帰国体験記 その2(ホテルでの隔離→中野)
前回に引き続き米国カリフォルニア州・レッドウッド在住のKさんのコロナ禍での一時帰国の体験談です。その2は羽田到着からホテルでの3日間の隔離を経て中野のご実家にたどり着くまでをご紹介します。羽田空港でのコロナ対応入国手続きから中野にたどり着くまで
【日本入国時】
予定通り、日本時間12/12(日)17:30頃に羽田到着。搭乗この便ではまず日本に入国せず、他国への乗り継ぎ便として搭乗した乗客が先に降機となった。以前利用したANA便では日本入国者を先に降機させていたので、これは便や航空会社によって異なる模様。
18:00頃に日本入国者の降機開始。ゲートに到着したら導線が敷かれており、それに沿って歩いていく。チェックイン時に推奨されていたQRコードが発行されていることを目視でチェック後、まずは書類や陰性証明書のチェックが行われる。窓口はアルバイトと思われる方が対応しており、日本人ではない方も多い印象。
抗体検査から結果が言い渡されるまで
施設隔離対象の場所から到着した場合、緑の札が渡され、手首に通すように言われる。札付きとして認定されているようで、気分が良いものではない。
その後は抗原検査の検体採取となる。漏斗と採取容器を渡され、自分自身で唾液を一定ラインまで流し、終わったら提出する。ここから結果が出るまでがものすごく長い。
別の場所に移動して、案内人が付いた状態で各種アプリの登録を行っていく。日々の健康状態や位置情報を把握するアプリMySOSのインストールと設定、接触確認アプリCOCOAのインストール、Googleマップの位置情報設定・保存を行う。
それが終わると、下のフロアに降りていき、施設隔離対象者はその登録と喫煙有無の確認を行う。施設内は原則禁煙だが、一部喫煙可能な部屋も用意してあるとのこと。
そこを抜けると待機場所でしばらく待機となる。この時点で20:30。水やオニギリとパンが用意されており、自由に食べることが出来る。それ以外の飲み物、軽食も自動販売機で購入することが出来る。
オニギリはローソンのもので種類は豊富。自分は待っている間に2つ食べた。パンはアンパンのみで数も少なく、途中でなくなっていた。
この待機場所は2部屋あり、水やオニギリが用意されている1部屋目の先に2部屋目がある。そこで検査結果を言い渡されるが、非常に混雑しており、また先行して到着したホノルル便やニューヨーク便の乗客から先に呼ばれるため、まだまだ先のサンフランシスコ便の乗客は1部屋目で待機するように言われる。ただし、2部屋目でアナウンスされる声が1部屋目では極めて聞き取りにくく、順番が近くなると2部屋目に移動を促され、そこで結果を聞かないと聞き逃してしまう可能性が高い。
結果は約20分間隔で20人程が検体番号で呼ばれるが、その時点でまだ200番以上前の番号が呼ばれており、単純計算で3時間以上待つということになる。
23:40を過ぎてようやく自分の番号が呼ばれ、無事に陰性であることが伝えられ、陰性と書かれた紙を受け取る。その後、同じタイミングで呼ばれた20人が1つのグループとなり待機。以降、このグループでホテルまで共に行動することになる。
入国審査から隔離ホテルへ
前のグループと一定の間隔を空けてから、検疫・入国審査へと進む。その後手荷物を受け取り、税関検査を行って出口へ。全員が揃ったらバスの振り分けが行われ、そのバスがある1Fの駐車場に向かってエレベーターで移動する。この移動は10人ずつに分けて行う。
バスは自由席だが、絶対に前側に座った方が良い。最前列から順番に入所手続きを行っていくため、先頭と最後では受付時間が10分以上変わってくる。
20人全員が揃って乗り込んだらようやく出発。この時点で0:50。ここでようやく行き先が横浜みなとみらいのアパホテルであることを伝えられる。検査結果判明時にホテルは分かっているのだが、そこでは教えてもらえない。バス内は飲食禁止なので、何もせずに移動。
ホテルまでは30分ぐらいで1:20に到着。しかし、このホテルは大量の入国者の隔離を行っており、我々の前にも先行して入所するバスがあり、その乗客全員の入所手続きが終わるまでバスの中で待機。1:50になってようやく入所手続き開始。そこでは日々の検温用の体温計と部屋のカードキーを渡される。そして本来夕食用として用意されていた弁当を受け取ってエレベーターで部屋へ移動。自分は20Fの部屋が割り当てられた。
部屋に着いたのは2:00。羽田に到着してからおよそ8時間30分かかったことになる。
部屋は全体的には狭いが、ベッドは広めに取ってあり、ベッドの下にスーツケースが収納できるようになっている。
【施設隔離】12月13日~15日
12月13日(月)
8:00に朝食が届いた旨のアナウンスで起床。部屋のドアノブに弁当が入ったビニール袋が引っかけてある。予定では7:00だが、自分が出たままドアを閉めてしまう(インキー)ことがないようにとの注意喚起があったので、半分ドアを開けた状態のままにしていたが、入居者が多いのか1時間程遅れての連絡。
食事は終わったら弁当ガラをビニール袋に入れ、結んでから部屋の前に置いておけば勝手に回収される。
毎朝8:00-9:00には検温を行い、Webサイト上に部屋番号とセットで当日の体温を入力するように、と入所時に指示されたので、時間内に検温とWebサイトへの入力を行う。
これ以外に14日間の待機期間中は毎日、MySOSアプリ上で1日1回、健康状態を入力するのと、1日2回現在地の位置情報を入力するのと、1日1回ビデオ通話で30秒間、自分を含む待機場所を撮影するというのを行う必要がある。これらを怠ると個別に電話で確認が入るということだが、自分はまだ掛かってきたことはない。
松花堂弁当には吸い物の粉末が添えられており、部屋に備え付けの紙コップにお湯を注いで食べるように、という案内がある。
水は洗面所の水が飲料水になっているのでそちらを使うか、アパホテルのペットボトル飲料であれば無料で飲むことができる。足りなければ内線で追加をお願いすることもできる。
それらを電気ケトルに注いでお湯を沸かし、吸い物を溶かして飲む。これまでずっと冷たい食べ物だったので、温まるものは貴重。
12月14日(火)
昼食が配られた前後で打ち合わせを行っており、開けたまま1時間以上放置してから食べたせいか、牛肉煮はややパサパサしているように感じたが、全体でそう感じたのはこの昼食だけであった。
12月15日(水)
3日目の朝は7:00頃から各部屋に検査キットが配布され、空港と同様に唾液を一定量入れて提出する。検体は7:45頃に係員が部屋を訪問して回収された。係員は防護服とフェイスガードで完全防御しており、あらためて自分達がまだ危険かもしれない存在としてみなされていることを実感した。
この検査のため、通常よりも朝食の時間は遅くなるという事前通達通り、8:20頃に朝食のアナウンスがあったが、8:00-9:00で打ち合わせ(オンラインミーティング)を行っていたので、9:00を過ぎてから朝食を受け取って食べた。
陰性の結果を得てから中野の実家まで
当初予定では14:00以降で検査結果が通知され、陰性であれば退所となるということだったが、なかなか連絡が来ず、かと言って急に連絡が来てから退所準備をするとその分退所が遅くなることを懸念し、いつ連絡が来てもいいようにスーツケースに荷物をまとめ、パソコンだけを稼働させておく形で仕事をしながら連絡を待っていた。
そして待つこと2時間半以上、16:45頃になってようやく電話があり、無事に陰性だったことが通知され、退所の準備が出来たら部屋を出てB1Fの出口に向かうようにと指示される。
速やかに体温計とカードキーを持ってスーツケースと共に部屋を出て、待っている係員に部屋番号を伝えてエレベーターに乗り込む。同じ20Fでもう1名同タイミングで退所する方がおり、2人の荷物でエレベーターが満員となるが、以降各階で停止し、乗り込もうとする退所者が乗れずにスルーするというのが続く。
出口からバスに乗り込むが、おそらく入所時の20名が呼ばれたものと思われ、全員が揃うまでバスで待機となる。17:10頃に全員が揃い、みなとみらいを出発して羽田空港へ。基本的には空港まで戻ってから解散となるが、一部の隔離施設では現地で解散となったケースもあるようだ。夕方になったので首都高速の渋滞が懸念されたが、遅れることなく17:35頃には出発と同じ場所である羽田空港第3ターミナルの駐車場に到着。ただし、ここでも先行して到着したバスが掃けるのを待ち、かつ全員のスーツケース他荷物を係員が降ろしてから降車となった。
ここから中野の自宅まで公共交通機関を使わずに移動しなければならない。
自分は14:00から4時間後の18:00にレンタカーを予約していた。特に時間を予見していたわけではないが、結果的にはギリギリの時間であった。
空港内のレンタカー受付に行ってレンタカー会社を呼び、羽田空港から少し離れたレンタカー店舗で無事にレンタカーを手配し、そこから1時間程運転して中野まで移動した。
自宅に着いて荷物を降ろし、そのまま最寄りのレンタカー店舗まで再び運転し、レンタカーを乗り捨て返却。徒歩で帰宅した。この後、11日間の自宅での待機を行っていく。
おわり。
寄稿してくださったKさんは隔離施設、自宅待機の間はリモートワークをされたそうです。その間にこの体験記を執筆していただきました。待機解除後は家族や友人と再会されて年明けにはサンノゼに帰られるとのことです。貴重な体験シェアをありがとうございました。