命・健康・環境の観点からオリンピック・パラリンピックの中止決定を

中野・生活者ネットワークは、コロナ禍2年目の今、
「命・健康・環境」優先順位の観点から、
2020東京オリンピック・パラリンピック開催すべきではないと考えます。

 

コロナ感染の推移

新型コロナウイルス感染症が発生して瞬く間に世界各地に伝播して、世界トータルで感染者1億4,476万1,922人、死者307万2,417人がでています。わが国では感染者55万8,072人、死亡者9,884人(2021年4月23日現在)と、数万人単位で犠牲者がでている諸国に比べれば数こそ低いものの、深刻な状況にあることに違いありません。変異ウイルスの増加を伴う第4波の大規模感染拡大が現実のものとなりました。ゴールデンウィークを前に4月25日から東京をはじめ感染拡大地域では3度目の緊急事態宣言が出されます。

有事に選択すべきことは何

命・健康・環境はわたしたちが最優先で守るべきものです。命・健康に続いて三つ目に「環境」をあげることに疑問を持たれる方がいらっしゃるかもしれません。ですが、安全で清浄な環境(大気・陽光・水・土壌が整っている状態)でなければ、人類は健やかに日常生活を送れません。大都会の暮らしでは「環境問題」は見えにくいですが、生態系の衰退、気候変動、気象危機、そして疫病の蔓延は、どれも環境が人類にとって望ましい状態ではなくなっている証左です。(残念なことにそうした環境劣化を招いてきたのも大都市住民のライフスタイルに負うところが大きいです。)

コロナ禍は、この一年あまり、わたしたちの生活を窮屈に規制してきました。オリンピック・パラリンピック開催1年延期だけではなく、大小さまざまなイベントから学校行事、冠婚葬祭など人生の節目の行事も変更、中止を余儀なくしてきました。さらにはささやかな友人や家族との集いさえままならない毎日です。とはいえ、地球規模の疫病の蔓延は、世界の有事であり、コロナウイルスが世界の平和を脅かしている(戦争のみが平和を乱すのではない)といえます。

コロナ禍でのオリンピック

このような世界情勢で2020東京オリンピック開催は可能でしょうか。そもそも、どのような状態でオリンピックを開催すれば、「人類がコロナに打ち勝った証」と言えるのでしょうか。海外からの観客を中止し、聖火リレーもままならない、参加各国のアスリートが公平で万全な準備ができない状態で開催するオリンピックを平和の祭典と呼べるでしょうか。

現在、日本ではやっとワクチン接種が始まったばかりです。感染予防効果が表れるのはまだ先のことになるでしょう。オリンピック・パラリンピック開催中止は研鑽を重ねてきたアスリートのみならず、準備にあたってきた関係者、楽しみにしてきたファンにとっても残念なこととおもいます。けれども、アスリートも含めて社会全体が新型コロナウイルスの脅威にさらされています。

オリンピック関係者にとっては、悪条件下でも「開催」すれば責任を果たしたことになるのでしょうか。オリンピック開催によって感染拡大した場合は、意思決定権者はどのような責任をとるのでしょう。たとえ「責任をとる」と公言している方がたが辞任したとしても感染者、逼迫する医療機関の現状はかわりません。

東京2020オリンピックの意義を問う

東京2020オリンピックについては開催国決定時の贈収賄発覚、当初コンパクトな大会を目指していたはずが大規模なインフラ整備、経済効果への過度の期待、商業主義が目立ち、近代オリンピック精神(平和の祭典、アマチュアリズム、参加することの意義など)の清々しいイメージとはかけ離れて見えます。

そもそも、わが国は、今回のオリンピックは東日本大震災、福島原子力発電所事故からの「復興五輪」とすると強調しました。政府が思っているほど地元の方がたに復興の実感はあるのでしょうか。漁業者の危惧をよそに政府は福島第一原発の貯留が限界に達している大量の放射性物質を含む汚染水の海への排水を決定しました。希釈したとしても大量の放射性汚染水が海に流れ込むことになります。

「復興五輪」、「人類がコロナに打ち勝った証」と、菅首相は安倍前首相の方針を継承してきましたが、開催予定日まであと3か月、自らの責任でオリンピック、パラリンピック開催可否の判断を望みたいです。

私たちは、東京2020オリンピック開催にも反対の立場をとってきました。コロナ禍が収束しない今、改めて開催中止を強く訴えます。オリンピック・パラリンピックは、商業主義のお祭りではなく、平和時に安全・安心・公平性が担保できる環境でアスリートが活躍するスポーツの祭典であるべきです。コロナ禍を機に、オリンピック・パラリンピックにおいても新しい運営のあり方の模索を切に望みます。