そもそもこの企画は、千葉県大網で不動産業http://www.ohsato.co.jp/publicity/tayori.phpを営んでいる野老真理子(トコロマリコ)さんの東北の復興支援活動に賛同して講師にお呼びしたことから始まったそうです。
21人の老若男女と野老夫妻と社員さん総勢24人で、深夜11時に荻窪を出発、24時間の弾丸ツアーです。
最初に寄ったのは子どもたちが多く流されてしまった大川小学校。この地に立って驚いたことは海からは4キロ離れているものの、大きな川のすぐそばでほとんど川面の高さと変わらない立地ということです。
日頃から「津波てんでんこ」と言いならわし、津波が来たらすぐに逃げろと教えており無事逃げおおせた学校もありましたが、この学校はマニュアル通りと言うかまず校舎2階に逃げ、それから校庭に集まって移動するところに津波が押し寄せてきたそうです。
校舎も2階建てで横には山がありますがナダレのあともありますから、逃げにくい山でした。子ども一人ひとりが自分の頭で考え、行動する子に育てる必要性を感じました。
小学校の校舎は新しくモダンな建物でした。きっと楽しい学校生活だったろうと思います。
水を被った絵本や工具類が残されたままでした。野老さんは必ずここに寄り体感してもらうことにしているそうでが、やはり辛いものがありました。
次に行ったのは近くの神社。そこの石碑には、地震が来たら津波が来る。津波が来たら逃げろ。この石碑寄り下に家を建てるな。とありました。この先人の教えも生かされず、多くの家屋が流されました。
そしていよいよ今回の作業現場「牡鹿半島」へ。5班に分かれて道路に散在しているがれきを道の端に素材ごとにまとめる作業に入りました。牡蠣がら・木材・漁網・ビニールなどが、ガードレールに巻きついたり、雑木林の中などに落ちているのを拾い集めるのですが、7カ月も経っているためかなかなか取れません。自分の非力さに情けない思いをした若者の感想がありましたが、全く同じ思いでした。それでも大勢の力というのは素晴らしいもので、現地のボランティアコーディネーターには「きれいになった」と褒められ気を良くしました。
昼食後は1時間の作業時間しかありません。大きな段差のある広場に打ち上げられたほぼ家1軒分くらいの木材を運びました。そこにはシャンプーやリンスのケースなどもあり、確かに生活があったのだと改めて感じました。
帰りに大きな旗を振っているガソリンスタンドのオープンに遭遇しました。野老さんたちが毎回寄っているそうですが、周囲80軒の集落のうち79軒が流された場所です。お得意さんもいないままに再建したガソリンスタンドのご一家のお話を聞きエールを送りました。
今回、野老さんたちの支援活動は60回目、延べ1000人以上の人々を現地に送り続けてきました。この7カ月に60回ということは毎月8回も9回も行っているということです。
私もその中に入れていただき感謝するとともに、別れ際のひとこと「グループ作って、また行きましょう」の言葉どおりにまた参加したいと思います。
大橋美紀