仙台市街路樹視察から考える神宮外苑銀杏並木
5月25日に区議の細野かよこさんと共に仙台市の街路樹を視察しました。今回の視察は法政大学教授の吉永明弘さんの呼びかけで、アグリアブル・グリーン研究会と日本一の街路樹見学ツアー案内人で東洋緑化株式会社の石出慎一郎さんのレクチャーと現地見学ツアーが実現しました。
私が仙台市を訪れたのは2007年以来2度目です。バスの車窓から見た、鬱蒼とした欅並木とその向こう側の街並みが印象的で、再訪したいと思っていました。
今回の視察では、なぜ仙台が「杜の都」になった由来を知るとともに、再開発計画で危機的状況にある東京の神宮外苑の銀杏並木について改めて考える機会になりました。
100年の杜の都
仙台市の杜の景観は、どのようにひとと土地が出合い、どのように働きかけて創り出されてきたのでしょうか。石出さんによると、仙台市の街路樹発祥は戦後の復興期に市長のリーダーシップと市議会議員やまちの人びとの協力で始まり、その後も段階的に植樹されてきたとのことでした。現在、100年に迫ろうとする杜の都が存在するのは、意思をもって植樹をした人びとと、手塩にかけて守り育てた人びとが脈々と存在してきたからといえます。ところで「森」と「杜」の違いは、前者は自然の山野にあるもの、後者は人の手によって植樹され育った一団の樹木、例えば「神社の杜」があります。
都市基盤に関わる街路の形成には都市計画の決定権をもつ自治体の首長の存在が大きいです。もし長い年月の間に緑地、樹木、街路樹に価値を見出さない人物が仙台市長に選出されていたら、100年の杜は存在していないかもしれません。自然はいつも人間の活動に譲歩を強いられるといいます。開発・再開発の度に、大きく育った公園の樹木や街路樹がいとも簡単に切り倒されることを考えると、100年の杜は奇跡に近い存在です。
杜のような街路樹があることの効果
これまで、中野・生活者ネットワークでは、東京都中野区で緑化、自然の修復、流域治水の重要性を訴えてきましたが、街路樹の重要性についてはあまり取り上げていませんでした。景観としての桜並木や欅並木に関心があったにも関わらずです。東京では一般的な、街路樹が狭いスペースに植えられて強剪定で小さく刈り込まれた姿を当たり前に受け入れていたようです。
以下は、今回視察で分かった仙台市の街路樹の効果です。
1. まちに潤いを与える
2. 空気を浄化する
3. 緑の回廊を形成して生態系を豊かする
4. 街路樹があることで雨水の循環を助長する(雨水を枝葉が受け止め蒸散させる、根から吸収する、植え込みの地面から地下へ浸透する)
5. 4.により雨水桝への流入を抑制し水害リスクを低減する
6. 道路表面を広く覆うことでヒートアイランド現象を緩和する(真夏の道路表面温度は60℃に達し、枝葉が道路を覆うことで得られる「日傘効果」により温度差が20℃低い。ヒートアイランド現象を緩和する)
7. 真夏の直射日光から歩行者を守り、建物などの蓄熱を妨げエアコンの使用率を下げる、木陰に駐停車する自動車のアイドリングを抑制する
8. 街路樹は仙台市に個性と風格を与えている。3種類の街路樹(欅のほかに、トウカエデと銀杏)は通りごとに個性を与えている。街路樹を100年の杜に育てる仙台市の姿勢が都市の風格となって表れている
9.市民は100年の杜のある仙台市に誇りをもてる
以上のように、仙台市の街路樹には環境的社会的効果が認められます。
「都市の杜を手入れする」ということ
手つかずの自然に対して、人が手を加えた植栽の保全は更に手を入れ続ける必要があるといいます。石出さんのレクチャーから、街路樹は、劣悪な都市環境(コンクリートに覆われた自動車通行の多い車道に隣接するストレスの多い立地)に置かれていることが分かりました。したがって街路樹の保全は、緑地・公園の樹木とは異なります。仙台市の街路樹には、樹形を整える、枝葉の密集を防ぐために適切な剪定を加える、幹を磨く、根に負担がかからない歩道をつくる、根が水分を吸収するよう雨水の地下浸透を促すなど様々な創意工夫が施されていました。
お話から、石出さんの街路樹愛を感じました。眺めて愛でるだけではなく、手を入れ、人びとに働きかけ、視察案内をする行為を通してますます仙台の杜に対する愛情を深められていると感じました。同様に市民もまた街路樹管理にボランティアとしてかかわり街路樹愛に目覚め、さらに仙台市、まちに「自らと土地との間の親密な感覚(私はこれを「ふるさと感」と呼んでいます)を育んでいくと思われます。
街路樹の現在の状態
吉永さんから頂いた追加の資料によると、私たちが5月に見た仙台市の街路樹は今までで最高に良い状態に達していたそうで、今後は同様の良好なレベルを維持できないということです。自然林であれば極相林(climax)という状態でしょうか。まさに街路樹がクライマックスを迎えていると考えられます。自然林であれば大木は倒れて、新しい芽吹きが次の100年の森へと引き継がれます。クライマックスを迎えた街路樹の倒木を防ぐためには、管理者が樹勢を見極め、新しい苗木を植樹して適切に更新していかなければなりません。視察中にも既に植え替えられた苗木が数か所にありました。
上記のとおり、仙台市の街路樹は手厚く守り育てられてきたようです。街路樹に思い入れのない自治体がこうした作業を行うことはできそうもありません。東京に強剪定で瘤だらけの街路樹が並ぶ理由は、限られた予算と入札制度により限られた作業しかできないからでしょう。
神宮の森に考えること
近年、大都市の街並みはブルドーザーと先端的工学技術により短時間で作り変えられてます。その時々の流行のデザインを反映した都市の景観は斬新なようで個性を失い何処でもないどこかになりがちです。いま、神宮外苑の絵画館から青山通りに続く銀杏並木が危機的状況にあります。保全を求める多くの人びとの声をよそに複数のスポーツ施設、オフィスビルの建て替え大型化の計画が進められています。長い年月をかけて成長した神宮外苑の杜に降りかかった問題は先に述べた「自然は人間の活動に譲歩を強いられる」の一例です。けれどもそれだけではなく「人びとの地域への想いもまた人間の(経済)活動に譲歩を強いられている」といえます。
それぞれの計画を進める人たちは、「ほんの少し大きくなるだけ」「ほんの少し日照時間が短くなる」とか「ほんの少し樹木を伐採するだけ」「根も残します」「枝も必要最小限で切り落とします」そして「でも、銀杏並木はほぼそのままの形で残るよう努力します」と考えているかもしれません。開発計画が将来に及ぼす影響は開発者、建築家、都市計画に関わる人たちの想像力にかかっています。
最終的に外苑の銀杏並木一帯の環境を保全するか、あるいは破壊につながる計画を合法化するのかは都市計画手続きです。都市計画の最終的な決定権者は東京都都知事です。自治体の首長には都市の風景を変えてしまうほどの権限が与えられています。そして都知事にそうした権限を与えているのは選挙権をもつ都民に他なりません。誰を選ぶか、選ばないか、白票を投じるのか、棄権するのか、有権者の一票の積み重ねの結果がまちの景観に影響を及ぼすのです。
最後に、神宮外苑には個人的な思い出があります。高校1年生の1年弱を外苑前で暮らしたことがあります。短い間でしたが、母とともに趣のある青山通り、表参道、銀杏並木の散歩を楽しみました。当時「杜」というコーヒーや軽食を出す洗練された雰囲気のお店があったことを想い出しました。懐かしさとともに改めてネーミングにセンスの良さを感じています。前述の仙台の街路樹を持つことの効果で示したように、都市の杜は総じてまちに潤いを与え、気持ちのよい暮らしと歩く楽しさを提供します。
仙台市の100年の杜に倣い、神宮外苑の銀杏並木の保全はもとより、東京に、そして中野にも「杜」が育ち広がるようにと働きかけていきたいです。
加藤まさみ