2021年夏 気候危機、コロナ禍、オリンピック・パラリンピックを振り返る

東京2020オリンピック(2021年7月22日~8月5日)・パラリンピック(8月24日~9月5日)が酷暑(アスリート、大会関係者、観客にとっても快適ではない)とコロナ禍・緊急事態宣言下で開催されました。中野ネットは会員交流会「おしゃべりサロン」(9月13日)で今回のオリンピック・パラリンピック開催を振り返りました。
主な意見は以下の通りです。

誘致当初の方針との齟齬

オリンピックを東京招致にあたって当時の安倍元首相は、福島原発事故からの「復興」をアピールする五輪を掲げました。しかし、本当に復興は実感できているのでしょうか。「復興」をキャッチフレーズとして利用されたように感じます。

莫大な開催費用と数々の失敗

開催地域、設備などでコンパクトな大会を目指すとしていたにも関わらず、数々の大規模施設の建設が目立ちました。今後の維持管理など巨額の投資・経費が掛かりました。誘致にかかわる買収事件に始まり、国立競技場建設計画のやり直し、エンブレム・デザインの盗用、前会長の女性蔑視発言をはじめ複数のイベント担当者の人格を疑うような発言と降板など、そして開催の形態変更に伴う費用の増加などコンパクトとは程遠い内容になりました。

「コロナに打ち克った」のか

2020年初頭から2021年9月まで日本はコロナ禍への対応と東京2020オリンピック・パラリンピック開催をめぐる対応という両極にある二つの課題を抱えてきました。当初2020年に予定されていた大会はコロナ感染拡大を受けて、安倍元首相は開催1年延期の決定に際して「人類がコロナに打ち克った証」としてオリンピックを2021年に開催するとのべ、後任の菅首相は同じ路線を引きつぎました。

その後もコロナ禍は収まらず、感染拡大は年初の第3波以降間髪を入れずに新たな波が押し寄せました。東京都を中心に第5波を受けて7月12日に発出された緊急事態宣言はたびたび解除日程が延長となり9月30日まで続く予定です(21日現在)。結局、国際および日本オリンピック組織委員会(IOCおよびJOC)と日本政府は、コロナに打ち克った状態とは程遠い緊急宣言期間中に、ほとんどの競技を無観客として大会を決行しました。

東京都では8月13日には感染者数が5,773人を記録しました。特筆すべきことは、自宅療養者の増加です。「自宅療養」をしていた感染者のなかには入院すべき状態であるにもかかわらず受け入れる病院がなく自宅での療養を余儀なくされた方々をふくみます。十分な治療を受けられずに亡くなった方たち、そして近しい人たちの無念は計り知れません。オリンピックのコロナ対応はひっ迫していた医療体制にさらに拍車をかけたと考えられます。にもかかわらず、政府、オリンピック関係者は、開催を高く評価するとともにコロナ感染拡大への影響はなかったとしています。

政府・関係者のこのような発言は、オリンピック・パラリンピックの完遂を国の最重要事ととらえ、コロナ禍はワクチン接種で解決するものと期待(予定)していた、さらに政府は緊急事態宣言を発出して国民の行動を抑えることで感染拡大を抑えられると考えていたのでしょう。政府および関係者のオリンピック実現に邁進し、コロナ禍を二の次とするかの姿勢をみれば、国民のコロナ防染意識が薄れて「オリンピック見たさ」の行動を止めるのは難しいことです。

「復興五輪」「コロナに打ち克つ」「コロナに影響はなかった」「自宅療養者」など現実とかけ離れた言い方は、不都合な事実を見ずに自らを正当化しているように見えます。戦後の「占領軍を進駐軍」に、「敗戦を終戦」と言い換えることで本質をすり替えることと似ています。

中止、延期、無観客など開催にかかわる意思決定が遅く、関係機関、事業者は対応に苦慮し大きな打撃を受けました。大会期間中の未使用のボランティア用ウエア無料配布、お弁当の廃棄などの無駄がでました。

マスコミの報道は公平性を持っていたか

コロナ禍のオリンピック・パラリンピック開催には日本のみならず、海外からも賛否両論がありました。各方面から発せられていた開催への批判、中止を求める意見は十分に報道され議論されたでしょうか。スポーツ礼賛とアスリート賞賛、祭典を楽しむ人びとを映し出す報道にかき消された感があります。五輪スポンサーに名を連ねた大手新聞社は公平な立場に立てたでしょうか。開催前からテレビ局の大会開催を後押しする姿勢は、大掛かりなオリ・パラ特別番組を準備したことを考えれば開催への願望が透けて見えます。

開催時期の選択肢

気候危機の到来を実感する自然災害が世界各地で発生しています。日本では毎年、7月8月の熱暑はすさまじく熱中症が多発してきました。IOCが日本の夏の酷暑を十分に認識していなかったとしても熟知しているはずの日本側関係者はなぜ盛夏の開催に異議を唱えなかったのでしょうか。結局、マラソン、競歩は東京の夏の暑さに気づいたIOCの意向により札幌で行うことになりました。盛夏の開催はアスリートにとっても関係者、観客にとっても最善の選択ではなかったと言えます。

そもそものオリンピックの在り方について

生活者ネットワークは日本でオリンピックを開催することに反対の立場でいました。なぜなら、近年のオリンピックは商業主義が目立ちます。誘致に巨額の費用(買収のような不透明な用途を含む)が掛かりました。巨大化した大会を一都市で二週間内に集約するのは無理があります。短い大会期間中に大人数を受け入れるための施設建設は乱開発につながります。国力、人口に差異のある国々を対象にメダルの数を競うことに意味が見いだせません。プロ化によりアマチュアリズム、参加することの意義が見えません。

まとめ

確かにコロナ禍で我慢を強いられることの多い日々にあって、オリンピック・パラリンピックの競技は数々の興奮と明るい話題を提供しました。しかし、コロナ禍は命、健康、環境を脅かす究極の有事です。疫病は戦争、災害とならび、すべての人が最低限必要とする衣食住と安全安心が保証されていない状態です。

一方、オリンピック・パラリンピックは平和の祭典に相応しく安全安心が確保されて成り立つイベントです。今回も開催にあたって研鑽を積んできたアスリートに活躍の場を、という意見も多くありました。しかしアスリートだけがつらいのではなく、世界中の多くの人びとがコロナ禍の犠牲になり、生活の場を失い、夢を絶たれています。コロナ禍収束後の開催の諸条件が整った環境で、憂いもジレンマもない状態でのアスリートたちの最高のパフォーマンスを見たかったと思います。
世界の無事の証であるオリンピック・パラリンピックをコロナ禍という有事に開催したことは非常に無謀であったと考えます。
最後に、私たちは、気候危機を克服して疫病も気候の激化も起こりにくい地球環境を取り戻す努力をしていきたいです。